サイコちゃん。

 

ゆきと翔隼のゆきです。

 

 

諸行無常とはよく言ったもので

 

わたし自身も日々

変化の中に生きているわけです。

 

 

 

 

 

最近起こっている大きな変化、

 

名付けて

「ゆきちゃんサイコパス化現象」

 

 

 

 

 

このブログ( アンチョビ。 )にも

ちらっと書いたんだけど

 

人が何を選択しようがどうなろうが

どうでもよくなっているの。

 

 

 

 

というのも、今までのわたしは

人のことがだいすきでたまらなくて

 

目の前にいる人のことを想って

ある意味とってもお節介に

 

泣いたり笑ったり怒ったり悩んだり

せわしなく感情を動かしてたんだけど

 

 

 

 

 

 

今のわたしはすごーくスンとしてて

 

人のことはだいすきでたまらないけど

その人がどうなろうがどうでもいい

 

って感じなの。

うーん、やばい、表現できてない、2点。

 

 

 

 

 

あ、そう、なんか

どうでもいいっていうのを翻訳すると

 

「どんな選択をしようと

どんな結果が出てこようと

あなたがすきだよ」

 

って感じ。

 

 

 

 

人の選択をジャッジする

人の未来に期待する

 

そんなわたしから

 

 

 

 

その人のことを信頼する

ただ起こった事実を受け止める

 

こんなわたしに変化したのかなあ。

 

 

 

 

 

 

個人的には期待されることって

全然嬉しくなくて

 

わたしが望んでいるかもわからないくせに

その人の妄想の中で勝手に期待して

 

その期待に応えられなかったら

勝手に期待されたのに

また勝手に失望されるわけじゃん。

 

 

 

 

 

結果を出さなければ受け止めてもらえない

条件付きの愛、みたいな感じで嫌なのね。

 

(わたし自身が博愛主義者っぽいからね、

自分もそうしてほしいのかなって思ったり)

 

 

 

 

 

あとジャッジするのもされるのも嫌。

(わたしもまだ経験中だけど)

 

あなたの基準とわたしの基準は違うのにさ

 

そもそもジャッジという行為が

幼稚に感じるのよね〜〜。

 

「よい」「わるい」っていう観点は

持ちたくないなあ、ポイ。

 

 

 

 

 

人と人は違うから

多分お互いにできるのって

 

選択肢を出し合うくらいなんだろなって

今の時点のわたしの結論、

 

 

 

 

何の話かわからなくなってきた(笑)

 

そう、そんなこと考えてたら

人に対してなんだか冷たくなったのよね。

 

 

 

 

良くも悪くも昔のわたしの

 

「この人に〇〇してあげたい」

「あの子がこうなっちゃって悲しい」

 

みたいなのがなくなりましたとさ。

 

 

 

 

 

生きるのが楽になったな〜〜

 

人に期待しなくなったら

悲しくなったり怒れてきたりしないしね〜

 

 

 

 

それでも人間はだいすきだし

喜怒哀楽の感情に触れるのもだいすき。

 

変なの。

 

 

 

 

 

表現するのって難しいなあ、

 

最初よりはましか、35点くらいで許して。

 

 

 

 

 

ゆき

 

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