ごちゃ。

 

はろー!わたしです。

 

今日はいろいろ意見が割れるであろう

お題だもんで、発信がこわいでーす。

 

はーい、いきまーす。

 

 

 

最近わたしの周りには

「死にたい」人が多い気がする。

 

 

 

 

わたしは「死にたい」と思ったことがない

 

むしろ死ぬことが怖くて

「死にたくない」

 

って小学校4年生〜中学生まで

ず〜〜っと考えてた。

 

 

 

 

 

「死にたい」という気持ちは

20歳になってもやっぱり

 

理解もできぬし共感もできぬ。

 

 

 

 

わたしが今は持っていない選択肢(死)を

選んでいくからびっくりする、

 

「なんでそれを選ぶわけ〜〜!?」

って思うの。

 

 

 

 

 

まぁ、今日の本題はここからなわけで。

 

「死にたい」と誰かが言った時、

「死ぬなよ!」ってなるじゃん。

 

 

 

「生きていればいいことあるよ」

「まだ若いんだから」

「あなたがいなくなったらさみしいよ」

 

まあ全部本当なんだろうけども、

 

 

 

 

自ら死を選ぶ権利もあるんじゃないか、

とか思うんだな。

 

 

 

 

ある意味で突発的な、

「死にたい」=「助けて」は

必ず誰かの手を取れる。

 

 

でも諦めを含む無気力的な「死にたい」は

どうすればいいんだろうか、

 

 

 

 

 

冷たくて酷いのかもしれない、

でもわたしは、

 

「あなたがいなくなっちゃうのは

とっても寂しいけど、

望むならどうぞ死んでください。」

 

って思う。

 

 

 

 

ああ、でもそれだけじゃないな、

 

「あなたが「生きたい」って思える体験を

連れてこれなくてごめん、」

 

って思う、

結局わたしの力不足か?

 

 

 

 

死ぬことが許されない社会に

絶望する人もいるんだろう、

 

生きることに絶望する人がいるんだろう。

 

 

 

 

こんなに人生は楽しいのに、

なんだかとっても歯痒いな。

 

 

 

あぁ、見ての通り

頭の中はごちゃごちゃでございます。

 

どうも「死」というお題は苦手だなぁ。

 

生き生きと生きていたいよ、わたしは。

生き生きと生きていてほしいのよ。

 

 

 

 

 

そんなことを言ったとしても

こんなことを考えていたとしても

 

 

 

 

 

死ぬ人は死ぬし、

死なない人は死なないんだろうか。

 

きっとそうなんだろうか。

 

 

 

 

確実なのは、

 

さっきまで隣にいた人が

いなくなっちゃう気持ちは

 

ものすごく寂しいってことかしら。

 

 

 

ゆき

 

 

あ、誤解を招くかこれ?

 

翔隼くんは今日も隣にいて

とっても元気だよ(笑)

 

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