髪の毛を真っ赤にして1週間、、、
ちょっとずつオレンジっぽくなってきて
ブリーチって面白いですね。
どうも、ゆきです。
今日ね、翔隼くんがある人に言われたの、
「そんなんじゃ社会で生きていけないよ。」
うん、きっとそれは
タダシイ。
タダシイ意見だと思う。
だって、定職についてないから
収入は不安定。
かといって就活はしていないし、
今日やったのはパン作りとお昼寝。
側から見たらさ、
彼女の家に転がり込んだニート野郎で
働けよって言いたくなるよね。
良いとか悪いとかじゃない、けど、
その “タダシイ“ に苦しめられている人間が
どれだけいるだろうか。
「定職につき、家族を養う」
という ”タダシイ“ が
定職につけず、家族を養いきれない人間を
”タダシクナイモノ“ とし、苦しめる。
「毎日元気に学校に登校しよう」
という ”タダシイ“ が
毎日元気に学校に行けない人間を
”タダシクナイモノ“ とし、苦しめる。
「ひとりの人間を愛するものだ」
という “タダシイ” が
ひとりの人間だけを愛することができない人間を
“タダシクナイモノ” とし、苦しめる。
その ”タダシイ“ は誰が決めたんだろうか。
それは本当に ”タダシイ“ んだろうか。
いつから人間は ”タダシイ“ を信じたんだろうか。
みんなが同じ ”タダシイ“ を
持っていなくてはいけなくなったんだろうか。
”タダシイ“ は必要なんだろうか。
”タダシイ“ は何のために生まれたんだろうか。
”タダシイ“ があるから
犯罪も社会問題も病気も悩みも
あるのかもな、なんて考えちゃうよ。
”タダシイ“ があるから
人生が面白いのかもしれないけどね。
今一旦、わたしは世の中に溢れ出している
”タダシイ“
を疑いたい。
”タダシイ“
をもう少し考えてみよう。
答えなんて出ないかもしれないけど。
だって、答えを出すことが
”タダシイ“ なのかもしれないもん。
ゆき
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